TOKYO PHOTO

TOKYO PHOTO 2009

NewYork Photo Market

ニューヨークの写真市場

 

グローバルなアート・マーケットの広がりの中で、アートとしての写真の市場も、アメリカ、ヨーロッパはもとより、アジアへと拡張してきているが、写真の市場を確立し、ギャラリーやオークションなどのマーケットのシステムや、コレクターを育んできた中心地といえば、やはりニューヨークに他ならないだろう。

ニューヨークを中心とした写真展のガイドブックであるフォトグラフ誌(Photograph)によれば、現在、ニューヨークのマンハッタンだけでも美術館やギャラリーなど80ヶ所以上で写真に関連する展覧会が開催されており、そのうち半数以上は何らかのかたちで写真作品を扱う商業的なギャラリーである。
また、毎年ニューヨークでは、春と秋のシーズンに、サザビーズ(Sotheby's)、クリスティーズ(Christie’s)、フィリップス(Philips dePury & Company)などの大手競売会社が、定期的な写真のオークションを開催している。そして、国際的な写真ディーラーの組合であるAIPAD(The Association of International Art Dealers, Inc.)による、写真に特化したアートフェア(The Photography Show)が、毎年春にパーク・アベニュー・アーモリー(Park Avenue Armory)を会場に開催されるなど、ニューヨークは、アートとしての写真の市場として常に注目を集めてきた。
しかし、現在のようなニューヨークの写真の市場は、1970年代以降の比較的短期間に成立したものである。

例えば、ニューヨークにおける写真の商業的なギャラリーの先駆的な例としては、近代写真の父といわれる写真家アルフレッド・スティーグリツ(Alfred Stieglitz, 1864-1946)による一連の活動が、写真史の中でよく知られている。
1905年スティーグリツは、ニューヨーク五番街にギャラリーを開設し、この画廊が291番地に所在していたため、「291」という通称が使われるようになった。スティーグリツは、自らの主宰するギャラリーにおいて、モダン・アートとしての写真を啓蒙するため、ヨーロッパの近代絵画などの展覧会と共に写真展を頻繁に開催していた。
ジュリアン・レヴィ(Julien Levy, 1906-1981)は、1931年に写真専門のギャラリーとして、ニューヨークマジソン街に、ジュリアン・レヴィ・ギャラリー(Julien Levy Gallery)を開業する。レヴィは、ウジェーヌ・アッジェ(Eugene Atget, 1857-1927)やマン・レイ(Man Ray, 1890-1976)、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson, 1908-2004)など、その後の写真史において重要な写真家のアメリカでの最初の展覧会を多く開催した。
しかし、スティーグリツにしてもレヴィにしても、写真展を積極的に開催していたのはギャラリー開業当初の2、3年間であり、その後はモダン・アートに主眼を移していく。そのことは、アートとしての写真の市場がまだ存在していなかったことを意味していよう。

第二次世界大戦後、1950年代から1960年代にかけて、ニューヨークでは写真のプリントを販売しようとする様々な運営形態の展示スペースが誕生している。
1954年、ヘレン・ジー(Helen Gee, 1926-2004)は、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにライムライト(Limelight)を開業する。ライムライトはカフェと併設のギャラリーではあったが、写真専門の展示スペースであり、閉店する1961年までの7年間に、アンセル・アダムス(Ansel Adams, 1902-84)やW.ユージン・.スミス(W.Eugene Smith, 1918-78)、ロバート・フランク(Robert Frank, 1924-)などを含む、70回にもおよぶ写真展を開催した。ライムライトの経営は、基本的にはカフェの売り上げで成立していたが、展示した写真のプリント販売も行っていた。
その他にも、ニューヨークには、写真家などが自ら運営する写真専門の展示スペースがいくつか存在していた。しかし、カフェとの併設であるライムライトの7年間の営業を除いては、どこも2〜3年という短い期間で営業を終えている。これには個々の事情もあろうが、1950年代から1960年代においては、ニューヨークにおいても、展示スペースを維持できるほど写真は売れていなかったのである。

ニューヨークにおいて写真のプリントを販売することだけで運営することに最初に成功したのは、リー・ウィトキン(Lee D. Witkin, 1935-84)によって、1969年に開設されたウィトキン・ギャラリー(Witkin Gallery)である。ウィトキン・ギャラリーでは、19世紀の歴史的写真から、同時代のドキュメンタリー写真まで、極めて幅広いジャンルの写真を展示し、販売していた。当時のウィトキン・ギャラリーは気易い雰囲気に包まれており、観客はソファーでコーヒーを飲みながら、至る所に飾られた様々な写真を楽しむことができたという。
このようなウィトキン・ギャラリーも含めて、それ以前のカフェと併設されたライムライトなど、1960年代までの写真展示スペースは、いずれもインフォーマルな空間とビジネスの性格を持っていたといえよう。そして、写真作品の売買は徐々に一般化しつつあったが、まだ市場と呼べるようなものは存在していなかった。

しかし1970年代になると、写真のギャラリーは大きく商業的スタイルを変え、その頃から写真の市場は急速に成立していくのである。その中でも、ワシントンD.C.のハリー・ラン(Harry H. Lunn, Jr. 1933-1998)によるラン・ギャラリー/グラフィックス・インターナショナル・リミテッド(Lunn Gallery / Graphics International Ltd.)と、ニューヨークのライト・ギャラリー(Light Gallery)という、既にモダン・アートで確立されたビジネスの手法を写真の市場に持ち込んだ2つのギャラリーの登場と、サザビーズやクリスティーズなど、大手競売会社による写真のオークションの定期的な開催が始まったことは、市場拡大に大きな役割を果たしたといえよう。

ハリー・ランは、1968年にワシントンD.C.でラン・ギャラリー/グラフィックス・インターナショナル・リミテッドを開業する。当初は20世紀の版画を専門に販売し成功を収めていたが、1971年より写真を売買するようになる。当時すでに国民的に人気のあった写真家アンセル・アダムスが、1975年一杯でプリントの受注を止めることを発表すると、ランは直ちにアダムズに対して大量のプリントを発注し、アダムズ自身から市場にプリントが出なくなった後に、人気の高いアダムズのプリントの価格を独占的に操作するなど、写真の市場価値を向上するための様々な活動を行った。

ワシントンD.C.でハリー・ランが写真を扱い始めた1971年、ニューヨークではライト・ギャラリーが開業している。ライト・ギャラリーは現代写真家との独占的な契約を交わし、その作品だけでなく、写真家自体をプロモートしていくという、モダン・アートのギャラリーで確立された手法を、初めて写真の世界に持ち込んだ。ライト・ギャラリーのオーナーであるテニスン・シャド(Tennyson Schad, 1930-2001)は弁護士であり、展覧会の企画など実質的なギャラリー運営は全て雇用したディレクターに任せていた。初代ディレクターのハロルド・ジョーンズ(Harold Jones, 1940-)は、ジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館(International Museum of Photography at George Eastman House)でアシスタント・キューレター務め、その後アリゾナ大学創造写真センター(Center for Creative Photography, The University of Arizona)の初代館長となった人物である。
ライト・ギャラリーの展示スペースは、既に当時モダン・アートのギャラリーで主流であった、ホワイト・キューブ(白壁のシンプルな内装)であり、作品は整然と空間にレイアウトされ展示されていた。すなわち、1950年代60年代の写真展示スペースの雑然とした雰囲気ではなく、写真を確立されたアート作品として意識させるフォーマルな空間を演出していたのである。 ライト・ギャラリーは、洗練されたビジネスの手法とシステムにおいて、その後の商業的な写真ギャラリーの規範となった。そのことは、ライト・ギャラリー出身で、その後自らのギャラリーを開業したピーター・マクギル(Peter MacGill)やローレンス・ミラー(Laurence Miller)、ロバート・マン(Robert Mann)など、優れた人材を数多く輩出したことでも明らかである。

1975年より、サザビーズはニューヨークとロンドンで、春と秋の年2回の定期的な写真のオークションを開始するようになり、1978年にはクリスティーズも同様に年2回の写真のオークションを開始する。このような定期的なオークションの開催により、写真作品の価格に客観的な相場が形成されるようになっていった。

1978年、ニューヨーク州ロチェスターにあるジョージ・イーストマン・ハウス国際写真博物館(International Museum of Photography at George Eastman House)で開催された芸術としての写真に関するシンポジウムで、招待された写真ディーラーたちによる展示会が催された。そこで交流を深めたハリー・ランとスティーブン・ホワイト(Stephen White)を代表として、1979年にAIPADが結成される。AIPADは写真ディーラーの同業組合であり、アメリカを中心にヨーロッパ、カナダ、日本など、現在120余りの写真ディーラーが加盟している。AIPADは年に一度ニューヨークでアートフェア(The Photography Show)を開催しながら、同時に写真のコレクションについての情報交換と普及活動を行っている。

1970年代後半から、写真は新しいジャンルのアート作品として注目され始め、ニューヨークでもレオ・キャステリ(Leo Castelli)やソナーベント(Sonnabend)などの現代美術系のギャラリーが、写真作品を扱い始めている。しかし、シンディー・シャーマン(Cindy Sherman, 1954-)や杉本博司(1948-)など、一部の作家を除いては、写真と現代美術の市場は、少なくとも1990年代後半までは乖離しており、取り扱うギャラリーやコレクター層などが全く異なっていた。そして、アート市場全体から見た写真の存在は決して目立ったものではなかったといえよう。だが、1990年代より、現代美術家がより多く写真を作品に使用するようになり、現代美術の分野でも写真というメディアが一般化すると、逆に、トーマス・シュトルート(Thomas Struth, 1954-)やアンドレアス・グルスキー(Andreas Gursky, 1955-)のような、ストレートなイメージ(図像)の写真でありながら、現代美術の市場で高額で取引される写真が登場するようになった。
2006年2月、ニューヨークのササビーズで開催された写真のオークションで、20世紀の写真界の巨匠エドワード・スタイケン(Edward Steichen, 1879-1973)の1904年の作品「The Pond-Moonlight」の貴重なヴィンテージ・プリントが、予想落札価格の約3倍となる約290万ドル(当時の為替相場で約3億5千万円)で落札されたことは、日本でも翌日に新聞でとりあげられるほど話題になった。この金額は当時の写真作品の最高落札価格であり、「写真が絵画や彫刻などに並んだことを証明する出来事だ」というオークション関係者による談話も紹介されていた。
しかし、その一年後の2007年2月、今度はササビーズのロンドンで、アンドレアス・グルスキーの2001年の作品「99-Cent II」が、約170万ポンド(当時の為替相場で約4億円)で落札され、オークションにおける写真作品の最高落札価格の記録をあっさりと塗り替えてしまった。このことは、伝統的な写真の市場と現代美術の市場における写真を語る上で、とても象徴的な出来事であろう。

2001年の同時多発テロ以降、ニューヨークのアート・マーケットは一時活気を失い、その後やっと盛り返してきたところで、またも金融危機に見舞われ、写真のオークションやギャラリーも苦戦が続いていることが伝えられている。それでもニューヨークは、アートとしての写真に対する高い見識と専門性を持ったコアなギャラリストやディーラーが多く拠点を構えることからも、目を離せない重要な写真市場であることに変わりはないだろう。

東京工芸大学准教授 吉野弘章

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